旅行会社社員の秋休み~スリランカ編~

旅行会社社員の秋休み~スリランカ編~

スリランカといえば・・・

 「スリランカ」といえば皆様は何を思い浮かべるでしょうか。
8つの世界遺産?セイロンティー?アーユルヴェーダ?リゾート?サファリ?
行ってみて分かる見どころ多き魅力的な観光地「スリランカ」へ行ってきました。
今回は世界遺産巡りがテーマです。
 この旅で利用した航空会社は日本からスリランカのコロンボへ直行便が就航している
スリランカのナショナルフラッグであるスリランカ航空です。現在(2017年7月現在)、成田発は日・月・木・土に運航されています。 機内に入ると、孔雀柄のエメラルドグリーンのサリーを纏った女性客室乗務員の方が出迎えてくれます。機内で流れるスリランカ音楽と合わせて、異国情緒を感じさせます。
 

 

現地住民の憩いの場「ガンガラーマ寺院」

 コロンボが位置する南西部は4~6月、10月~11月が雨季、12月~3月が乾季です。
コロンボの平均気温は27度、この日の最高気温は32度でした。日差しは強くありませんでしたが、汗がにじみ出る湿度の高い気候でした。乾季はありますが、時々雨がぽつぽつと降り出します。雨が降ったかと思えば、まもなく止むという気まぐれな天気でした。
 ホステルからトゥクトゥクで、ガンガラーマ寺院を目指しました。コロンボ中心にある最大の寺院のひとつです。見学には靴を脱ぐ必要がある為、入口で脱いでから寺院内に入ります。 敷地内には白い制服を身に纏った子供達が沢山いました。彼らは仏教を学ぶ為の週末スクールに参加しているとのことです。

ちょうど私が訪れた時は昼休みだったようで、子供達は寺院内を駆けまわっており、現地住民の憩いの場になっているようでした。

 

 

世界遺産シーギリヤ

 午前7時。コロンボのゴール通りに位置するホステルは学生や会社員と見られる大勢の人々が行きかいます。通り過ぎるバスの行き先は英語表記もあり、どこへ向かうかが明瞭です。
そんな朝の光景を眺めながら、この日向かうシーギリヤへのツアーの車を待ちます。
 今回の旅行の一番の目的は、世界遺産シーギリヤロックです。到着して車から出ると湿度も気温もコロンボよりも高い気候でした。シーギリヤ入場料(観光客用)は30ドルでした。(2017年22月27日現在)入口から真っすぐ歩いた先に、そびえたつシーギリヤロックが見えました。 貯水地や庭等もあり、そこに人々が暮らしていたことがうかがえます。

 

 

シーギリヤの歴史

 シーギリヤは5世紀後半に、11年間この地を統地してきたカーシャパ王により作られました。カーシュパ王は王座につくために父を殺し、また弟からの復讐を恐れて、この城を作ったとされています。この宮殿が発見されたのは、王が亡くなってから1400年後、イギリス植民地時代の19世紀後半だそうです。
 頂上へ向かう道中には、5世紀に描かれたものとは思えない色鮮やかな「シーギリヤレディの壁画」や、当時鏡として使われていた「ミラーウォール」、巨大なライオンの前足が出むかえてくれる「宮殿入口」等。ざっと見ても見どころが沢山あるので、頂上へ向かうまでも約2時間ほどかかりました。

『天空の城』

 頂上に登ると360度のパノラマ絶景でした。岩山の頂上には、王宮跡やプール、
踊り場等の跡があり、「天空の城」と呼ばれる意味が分かります。とても静かな場所で辺りは一面の緑です。この展望を眺めながらカッサバ王は何を想っていたのでしょうか。

 

 

世界遺産「ダンブッラ石窟寺院」

 シーギリヤから車で数十分のところに今回2つ目の世界遺産「ダンブッラ石窟寺院」があります。博物館が併設されており、黄金の大仏が入口にそびえたっていました。
周辺には多数の野生猿がおり、道を進むと彼らも付いてきました。この寺院でも、靴を脱いで入ります。
 入場口を抜けると、5つの石窟が古い順に並んで建てられています。第1窟は最古の石窟であり、そこには写真に収まりきらないほどの「巨大な涅槃像」が横たわっていました。暗い洞窟の中ですが、涅槃像の足の裏が真っ赤に塗られているのが分かります。紀元前5世紀にシンハラ語の始祖である「ウィジャヤ王」がインドからスリランカに渡った際に足の裏についた赤土の色からきているそうです。

 

水の湧き出る岩

 第2窟はダンブッラ最大の洞窟です。中に入ると、壁に沿ってずらりと56対の仏像があり、
圧巻の光景でした。天井には壁画が描かれており、仏陀の生涯や、シンハラ人とタミール人の戦いが描かれているものもあるとのことでした。

 残念ながら一面に描かれた絵から、その絵を見つけることができませんでした。この絵は各代の王により修復されたことにより、元々あった絵はほとんど残っていないといいます。また、こちらはこのダンブッラの由来となる石窟で、意味は「水の湧き出る岩」だそうです。この「水の湧き出る岩」は、第2の洞窟内の天井から滴り落ちる湧水のことです。この水は聖水として、寺の宝となっています。

 

シンハラ王朝最後の都 世界遺産キャンディ

 街全体が世界遺産として登録されているキャンディの湖などが一望できるレイクビューポイントに近い宿でした。この日の朝は少々曇り空でしたが、ベランダからは湖を含む世界遺産キャンディの街がみえて綺麗でした。
 最初の向かうのは象の孤児院です。キャンディ駅近くのバスターミナルから
「キャーガッラ(Kegalla)行き」のバスで約1時間、カランドゥパナジャンクション(Karandupana JCT)を目指しました。こちらでは親を亡くした象、はぐれてしまった子象達が保護されており、
生育した象は寺院や象使いへ引き取られているそうです。人の保護下で暮らす象の群れとしては世界最大の数がいるとのことです。園内は目立った柵が無く、間近で象の大群を見ることができます。その近さに圧倒されました

 

仏歯寺

 孤児院からキャンディへ戻り、次に向かった場所は仏歯寺です。仏歯寺とは、スリランカを代表する仏教寺院である、「仏歯」が奉納されています。紀元前5世紀にインドで仏陀を火葬した際に入手したと言われています。王権の象徴ともされるほど重要な仏歯は、最後のシンハラ王朝の都であるキャンディを奉納の地としました。先ほど述べた「プージャ」とは仏歯が保管されている部屋が開扉の際の「仏への礼拝」を指します。1日に3回のプージャがあり、 朝6時~、11時~、18時半~です。仏歯寺に訪れる際には、この時間帯に訪れることをお薦めします。 入場料は1000ルピー(約800円)です。こちらでも靴を脱ぎ、雨で床が濡れていたため裸足で中へ入っていきました。

 

ペラヘラ祭

 本堂へ向かう途中に色鮮やかな壁画が見えてきました。この壁画は「ペラヘラ祭」を描いているそうです。ペラヘラ祭とは、毎年8月に行われる祭礼のことです。仏陀の歯を乗せた象がキャンディ市街を練り歩くそうです。

 

ペラヘラ祭を描いた壁画を通りすぎると、植物や様々な模様が描かれた廊下を通りぬけます。そこで見えてくるのが「仏殿」です。仏殿は一階が参拝場所、二階に仏歯がおさめられている本堂がありました。仏殿の入口にある大きな象牙が目にはいってきます。仏殿の柱から天井には、
青赤黄色を基調とした色合いで様々な模様や仏画が描かれていました。その荘厳さに目を見張るものがあります。プージャが始まる際には太鼓の音が聞こえてきました。太鼓の音とともに博物館に居た観光客も仏殿へ近づいて行きます。

 

 

祈りの演奏

太鼓や笛を持った男性が数人、仏殿の前に立ち、仏陀にささげる祈りの演奏がはじまりました。
仏殿は一般の人々は入れませんが、演奏中には、時折仏殿の扉が開き、僧侶らが出入りしていました。
二階は仏歯を拝む者のためのエリアです。白い服を身に纏った多くの人々は列を作っており、
扉が開く瞬間を待っているようでした。お供え物の蓮の花の多さが訪れる人の多さを表しているようです。


 実際に歯を見ることができる訳ではなく、それが保管されている様々な宝石がちりばめられている黄金の入れ物が公開されます。扉が開かれるタイミングは分かりませんが、開く際にはその扉まで列ができる為、それを見計らって並びます。実際に見ても内部までは分かりませんでしたが、何重もの入れ物が重なったような構造だといいます。
プージャの間、参拝者の列が途絶えることはありませんでした。ひたすら祈りを捧げる参拝客に、
篤い信仰心を感じる空間です。

 

 

 

キャンディ~コロンボ列車の旅

ここキャンディでも、通勤・通学ラッシュの朝は沢山の人々が行き交います。
その中、キャンディ駅に向かいました。コロンボから広がる線路は、イギリスの植民地時代に紅茶や珈琲の輸送手段として整備されたのが始まりだそうです。車両は1等~3等までクラスが分かれています。
時間帯によって2,3等のみの列車もある為、公式サイトで確認しておくとよいかもしれません。
チケット売り場は等ごとに分かれています。コロンボ行きは乗客が多いとのことで、
荷物が多い懸念もあったので、1等の切符を購入しました。
 車両はレトロ日本でいうグリーン車のような内装です。キャンディを出て数十分。
線路沿いにある小学校らしき建物が見え、はにかんだ笑顔で子供達が電車に手を振ってきました。
線路沿いに住宅がひしめきあっており、時折スリランカの人々の日常を見ることができます。

 

 

1ヵ月後のコロンボ行き航空券を 検索してみる。


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